中学生が、教師の言動を苦に、自殺する事件がありました(読売新聞)。

僕自身、この問題はできれば、あまり聞いたり話したりしたくない話題ですね。子供が命をなくすのは、どんなことが原因であれ痛ましいものです。

僕は、いじめはどうしたって、なくならないと思います。したがっていじめをなくすにはという議論自体あまり意味を感じません。むしろ、子供や親がどう対処するか、学校がどういうルールやシステム作りをして”いじめ”に対処するかを議論するほうが大切なのではないでしょうか?

まず、子供たちや親には、”たくましく”なってもらいたい。生きていくうえで、人間関係がうまくいかないことは、多々あることです。それを解決する力(生きる力)をつけるのが教育だと思うのです。

その”たくましさ”を身につけるために、子供たちは、なにか具体的な活動をやってもらいたい。受験でも、スポーツでも、芸術でも、学外活動でも何でもいいと思います。そして親も一緒になって問題を解決したり、そのサポートをしてもらいたいのです。親にある技術を教える素養がなくても、子供が良い・悪いの拠り所とするのは、結局、自分の親だと思うのです。価値観を学校という制度で教えるのには限界があるし、危険だと思います。これは、親の仕事です。死ぬことが問題解決につながらないというのは、価値観の問題であって、親が日常生活の中で、子供に伝えることではないでしょうか?

僕自身、100人くらいの家庭教師の経験があります。いろいろな家庭を見る中で、部活を熱心にやり続ける子供は、成績なんか悪くても、しっかり生きています。そういう彼や彼女だって、当然いろんな問題を抱えています。でも、そうした問題を跳ね返す、あるいは、なんとかする”強さ”を部活動を通じて、自分の中に育てているのですね。

一方、学校にもルールやシステムが必要だと思います。”いじめがいけない”ということを教師が注意をしてもだめです。そうした問題を申告・相談するシステムが必要だと思います。

”いじめは悪でもかならず存在する”という認識の元に、それを申告したり相談したりできるシステムが必要です。むかしは、保健室や保健の先生がそうした役割をはたしていた部分がありましたね。保健室で仮病で居眠りしたり、相談にのってもらったりと、問題を抱えた生徒のたまり場でした。僕もお世話になりました(笑)。学校にも家庭にも、子供たちにもをひとりで悩ませない、”逃げ場”を提供することも大切です。

今回の事件は、教師がああ言ったとか、こうしたということが伝聞形式で語られたり批判されたりして、非常に不快です。あるいは、子供の死を一面的な原因追求をしようとするマスコミ(学校や教師が悪い)もどうか、と思います。子供たちが死んでもなにも解決しないことを知り(価値観)、大人(親・教師・行政)たちが問題点や解決策を真剣に議論した上で、こうした痛ましい事件が少なくなるような”しくみ”を作ってほしいと考えます。

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